Mag-log in思い返せば、シチューは人間が食するもので、魔王の口に合うとは限らないのではないだろうか。だから、魔王はあんなに怒ったのではないだろうか。
翌日そう思い直したエリオットは、次なる対策を打ち出すためにまたしてもゼフの許へ向かう。魔王の好物を探るだけでなく、魔王についても聞きだすためだ。
「あれ? ゼフはどこにいるんだろう。それにしても、お城は広いな……」
城の中は広く、上へ下へ歩きまわってもそう簡単にゼフの姿は見つからない。エリオットが生まれ育った屋敷の数倍はある敷地と思われる。
しかし数ある部屋を見て回ってもゼフの姿はなく、それどころか他の魔物や使用人らしきものの姿もない。これはどういうことなのか。
「……やっぱりおかしい。どうして誰も見ないんだろう。もう数日ここにいるのに、魔王様の他に、ゼフしか姿を見たことがないなんて」
これだけ広大な敷地があるのであれば、管理もそれなりに手間
思い返せば、シチューは人間が食するもので、魔王の口に合うとは限らないのではないだろうか。だから、魔王はあんなに怒ったのではないだろうか。 翌日そう思い直したエリオットは、次なる対策を打ち出すためにまたしてもゼフの許へ向かう。魔王の好物を探るだけでなく、魔王についても聞きだすためだ。「あれ? ゼフはどこにいるんだろう。それにしても、お城は広いな……」 城の中は広く、上へ下へ歩きまわってもそう簡単にゼフの姿は見つからない。エリオットが生まれ育った屋敷の数倍はある敷地と思われる。 しかし数ある部屋を見て回ってもゼフの姿はなく、それどころか他の魔物や使用人らしきものの姿もない。これはどういうことなのか。「……やっぱりおかしい。どうして誰も見ないんだろう。もう数日ここにいるのに、魔王様の他に、ゼフしか姿を見たことがないなんて」 これだけ広大な敷地があるのであれば、管理もそれなりに手間がかかるはずで、相応の人員を要するだろう。それなのに、エリオットが魔王のもとに嫁いで数日、ゼフと魔王の他にこの城に住人らしき者の姿を目にしていないのだ。厨房にも鍛冶場にも馬場にも、門番のところにさえひと気がない。思いつく限りの場所を歩き回ってみたが、やはり誰もいなかった。「だからなのかな……お城の中はなんだかすごく暗いんだよね。いまは昼まで日が射しているはずなのに」 回廊には大きなガラス窓があり、外からは日が射しこんでいるはずだ。それなのに視界に移る景色はどこか|霞《かすみ》がかかったように薄暗く、心なしか空気も重たい。そのせいなのか、単純に歩き回ったせいなのか、エリオットはひどく疲労感を覚えている。「おかしいな……いくら敷地が広いとは言え、ただ歩き回っただけでこんなに息が上がるものなのか……なんだか、先日の魔王様の様子に似てる気がする……」 回廊の壁にもたれかかり、肩で息をしながら呼吸を整えていると、回廊の奥の
ヴェルクレイン国の情勢を立て直すには、まず影響を与えてくる魔王の魔力を回復させなくてはならないのではないか。一先ずそこまでの仮説を導き出したエリオットであるが、何から手を付けて良いのかわからないのが現状だ。(何より、魔王様の魔力がどうやれば回復するのか、その方法がわからない) そもそもまず、魔王のことを何一つ知らないのだ。魔力がヴェルクレイン国と繋がっているらしいことだけは知ってはいるものの、それが弱まった場合に生贄嫁がどうすればいいのかがわからない。「おそらく、昨日やろうとしていた儀式……睦み合うことでいままでは回復されてたんだろうけれど、いまはそれもできないみたいだし……」 頑強そうに見えたが、いまの魔王は相当に弱っているということが考えられる。通例の生贄や生贄嫁による儀式では間に合わないほどに、いまの魔王は弱い――最弱の状態なのだろう。そこまで弱った魔王を回復させるすべなど、果たしてあるのだろうか。なによりひとまずは、魔王様のことを知らないと始まらないのではないか。そう思い至ったエリオットは、早速ゼフに尋ねることにした。「魔王様がお好きなものですか? そうですねぇ……魔王様は血の滴るようなレアの赤肉が大変お好きですよ。あと、赤ワインも」 そう言いながらゼフが厨房で見せてくれたのは見事な牛の赤肉の塊。確かにそれは押せば血がにじむほど立派な赤肉だ。ワインもまた上等な赤ワインのようで、魔王はそれらを毎晩食しているという。 人間であれば、胃腸が弱っている時にこのような料理を食したら余計に具合が悪くなるはずだ。あくまで推測の域を出ない話だが、それに類する考えとして魔王もまた同じ状態であることが言えるのではないだろうか。ならば消化にいいものを食べさせれば良いのでは。そう、エリオットは考えたのだ。「ねえゼフ。今夜は私が魔王様のお食事を作りたいんだけれど、いいかな」「エリオットさまがですか?」 
儀式の支度としてエリオットを待ち受けていたのは、丁寧な入浴と着替えだった。着替えとして差し出されたのは薄絹のガウン。それを手にしてようやく、エリオットは儀式が何を指しているのかを理解し始めていた。 魔王とこれから臨む儀式――それは、新婚の二人が過ごす初夜、つまり性交を行えというのだろう。「え、じゃあ私……魔王様と睦み合うのか?」 呟いて思い至るのは、自分が生贄嫁と言う立場であることだ。生贄と言うからには、命がけで初夜に臨まなくてはならないということだろうか、と。 エリオットにこれまで懇意にしたような相手はおらず、そういった経験など皆無だ。最低限の知識として、夜伽の話を聞いたことはなくはないが、それは人間同士のそれである。ましてや、自分が生贄嫁として臨む行為など、知る由もない。そんな何の経験もない自分が、人知の及ばない相手である魔王を満足させられるのだろうか? 不安でじんわりと冷や汗がにじむ。「でも、もし今からの儀式が上手くいかなかったら……ヴェルクレイン国はどうなってしまうんだ?」 傾く国を立て直すために生贄とされた自分が、儀式を失敗してしまったら。その末路は想像するに恐ろしい。エリオット自身が取って喰われるだけならまだしも、その咎が母国に残してきた家族、ひいては国全体に及ぶことも考えられる。それだけは、避けねばならない。 命じられるまま、流されるままにここまで来てしまったが、これは想像以上に重い役割を課せられているのではないだろうか。 にじむ不安と恐怖に血の気が引く思いで再びゼフに案内されたのは豪奢な造りの天蓋付きの寝台がある広い寝室だった。恐らくここは魔王の寝室なのだろう。 数本の蝋燭の灯りの中、エリオットは不安で気がどうかしてしまいそうな思いで、ただじっと寝台に座っていた。もう間もなく魔王が儀式という名の性交のためにやって来るかと思うと、平常心でいられない。それでも逃げずにとどまっているのは、ひとえに自分に課せられた役割を全うする責任感によるものだった。ここで逃げてしまえば、き
それからエリオットが生贄嫁として嫁がされたのはわずか三日後の満月の夜だった。 王宮から用意された粗末な馬車に乗せられ連れて行かれたのは、国の北端にある山のふもと。その頂上にある要塞のような建物が魔王の城だ。 城の象徴的な建物と言える高い塔の脇には入り口となる大きな門があり、そこからエリオットは迎え入れられ、使い魔だという少年に案内されて広間へと通された。 広く薄暗い広間で待ち受けていたのは、玉座のような立派な椅子に気だるげに頬杖をついて脚を組んで座る黒づくめの男。黒羊にも似た角を持ち、深い闇色の瞳に堀の深い顔立ちは、暗がりでもわかるほど美しい。魔王とは言っても、見た目は二十代前半の青年のように見える。 そんな彼に惹き付けられるように見つめていると、エリオットを案内していた小太りの少年が深々と礼をしてひざまずく。「魔王様、エリオットさまをお連れいたしました」 魔王、と少年に呼ばれた椅子の男は悠然とうなずき、「ご苦労だった、ゼフ」と言ってゼフと呼ばれた使い魔の少年を下がらせる。「お前が今回の嫁だそうだな」「は、はい……エリオット=ハイランドと申します」「歳は?」「じゅ、十九になります……」「十九の男か……その割には小柄だが……まあ、儀式に差し支えはあるまい。若ければ若いほど、儀式の効果は上がると言うしな」 魔王はそう独り言ちたかと思うと立ち上がり、傍に控えていたゼフに「ただちに儀式の用意をせよ」と命じて広間を去って行く。その上背はエリオットよりはるかに高く見上げるほどで、背には黒く大きなコウモリのような翼があった。 エリオットの顔を、ろくに見もしなかった。何某かの取り柄があるのかとか、そんな質問さえなく、ただ年の頃を聞かれたのみ。しかもこれから何やら儀式が行われるという。(結婚式でも、するのだろうか……?) そもそも男性であっても嫁
「エリオット、お前また余計なことをしたらしいな。先程厩番たちから苦情を言われたぞ。馬に触りたいばかりに余計な仕事を増やしてくる、とな。まったく、子どもじゃないんだから要らぬ手をかけさせるな」 屋敷に戻った途端、泥だらけの姿を見咎められ、父に苦言を言われた。父は神経質そうな顔をしかめ、不愉快そうに小柄なエリオットを見下ろしてくる。「そんな、私は……」「とにかく、母親殺し以上の面倒はもう御免だからな。余計なことをしてくれるなよ」 父にきつくそう言われ、エリオットは黙ってうなずくしかなかった。屋敷の主である父の言うことは絶対であり、エリオットに反論の余地もない。「大体お前はやることなすこといつも余計なんだ。それなのに先日もまた厨房なんかに出入りして料理を覚えようとしたらしいな。ワシらを毒殺でもしようって言うのか?」「そんなことはありません! 私はただ、みんなに美味しいものを食べて欲しくて……」「ふん、どうだが。母親殺しのお前の言うことなど、真に受けるわけがないだろう」 そう言われてうな垂れるエリオットに、父は冷たい視線を向けてくる。エリオットへの愛情など欠片も感じられない眼差しに、心が押し潰されそうだ。「まったく。十九にもなってもワガママばかり……。少しは家の役に立つことはできぬのか」 普段であれば、ここで父はそう苦々しく呟きながらエリオットを置いてどこかへ去ってしまうのだが、ふと「……そうか、お前はもう十九になったんだったか」と尋ねてきた。おずおずと顔をあげると、父がいつになく不気味で柔和な笑みを浮かべてこちらを見ている。「は、はい……先日無事に十九を迎えました」 確かに先月エリオットは十九歳を迎えたが、庶子であるためか、兄たちのように盛大に祝いの宴を開かれたりすることはなかった。これまでに一度だって、そのようなことをしてもらった覚えもない。
「いいだろう? 私だってもう十九だ。馬小屋の仕事ぐらいできる、やらせてくれないか?」「あー……エリオットさま……お気持ちは有難いのですが……ここは俺たちにお任せいただけませんかね」 厩番の人手が足りないことは、もう随分と前から聞いていた。しかも最近では気性の激しい馬が新しく入ったと聞いていたので、何某かの力になれればと思い、早朝から馬小屋に顔を出してみたのだ。そうして馬たちにエサを与え、少しでも役に立てれば――ひいては少しでも誰かに好感を持ってもらえればとエリオットは考えていた。「そこを何とか頼めないかな、この通りだ」 しかしそれは全く役に立つことはなく、むしろ見知らぬ人間が馬小屋に立ち入ったことで新入りの馬はおろか、他の馬たちまでも騒ぎ立て始める事態になってしまったのだ。「しかしそう言われましても……現にここはもう手がいっぱいなんですわ」「…………」 年長の厩番が申し訳なさそうにそうエリオットに告げている間も、馬たちは鼻息荒く暴れまわり、飼葉を蹴散らしていなないている。まるで蜂の巣をつついたような騒ぎに、他の厩番たちもうんざりした顔をしているのが見えた。「ったく……ご令息様の気まぐれで慣れないことに首を突っ込まれても困るんだよなぁ」「片付けはこっちがやらされるんだっつーのに」 聞こえよがし若い厩番たちが言い交わす言葉が聞こえ、エリオットは居た堪れなくなってくる。しかしそれでも、役に立ちたい気持ちに変わりはなく、つい目の前の厩番の男に縋るように請うていた。「なあ、お願いだよ。私だけ、未だに馬に懐かれてないから……」 父親は勿論、一番上の兄もその下の兄も、この伯爵位にあるハイランド家の男子は乗馬が得意だ。だがただひとり、エリオットだけが馬に触らせてもらえてすらいない。何故だか馬がエリオットを怖がり、







